若い伴侶死別に関するちょっとしたお話

8/14 男性の若い伴侶死別 悲しみをぶちまけろ

男性で伴侶を亡くすと、少しその後に独特な経緯をたどることが多いように感じることがある。

いろんなブログや書き込みで男性の死別者のものを読むと、複雑なところに絡まっている人が

女性より多いように感じる。サンプル数も少ないし、あくまで感覚的にであるけれど。

接して来た男性の死別者にはある特徴があることが多い。すごく雑に言ってしまうと、

「強がる」ということである。男性の育ちや環境、日本の文化的慣習で、そうなってしまうのは

よくわかる。他のことなら、強がれよ、とも旧人類の私は思う。

同じ経験者とコミュニケーションをとったり、やり取りをするのも苦手な人は男性に多い。孤独に誰も答えを

出せないことに顔を突き合わせていてもなかなか闇から逃れることは難しいようには思う。

このページなどで連絡を取ってくる男性も少ない。男性からの連絡は、それだけで、この

人は大丈夫かもしれないと思わせてくれるくらいに安心する。どんなにそこに悲嘆や闇が

書かれていようとも。

 

伴侶死別の第一歩というか、特に直後数年までは、悲しみや苦しみを吐き出すことが大事であるように思う。

それを共感してもらえるとさらに効果が出るように思う。その共感は、多くの一般の人には無理であろう。

どんな人格者でも、同様の経験をしていないと難しいように思う。また、同様の経験をしたからと言って、

わきまえていなければ共感どころか、傷つけることにもなりがちであろう。自分の経験を押し付けると

したら、そういう経験者からは離れた方がいいかもしれない。

 

その悲しみや苦しみの吐き出しが、圧倒的に男性は苦手である。人によっては、そういう吐き出しあう場を

せせら笑うのかもしれない、ネット上で書き込んで共感してもらったりすることを恥と思ってるのかもしれない。

そこには、どこか「強がる」という根本が横たわっているような気がしてならない。

いや、真に強く回復していけるのなら、それでいい。でも、逆の結果に感じることはあまりに多い。

 

強がる人は、死別の苦しみをごまかしにかかったりする。仕事や酒や別の恋愛に。

ある時期にごまかして、傷を真正面から受けない工夫も大事ではあるけれど。

 

これだけ、死別の話を書いてるページなのに、死別男性と恋愛していて

苦しんでいる人が連絡をくれることは少なくない。裏を返せば、死別の苦しみに起因する何らかを

相手の女性にぶつけている人がかなりいるということだろう。女性の嫉妬を

差し引いて考えても。悩みの中身も、どうしてこんなにこんがらがった状態で

次の人に移っているのだろうというのがほとんど。

一番の最悪だなあと感じた人は、洋服やアクセサリー、果ては鏡まで奥様のものを

しきりに使わせようとした人だ。明らかに、新しい人を代替にしていた。

結局、こういう事態が起きるのは、死別の闇の中のまま恋愛する準備も覚悟も

できていないのに、死別の苦しみを恋愛でごまかすからではないだろうか。

不思議と、女性にはあまりこのタイプは少ないように感じる。これも

サンプル数が少ない独自感覚でしかないが。

 

今、30前後の男性においては比較的、強がるという部分について柔軟に

考えられる人が増えて来たように思う。それでも、男性が素直に悲しみを

ぶちまけるというのは、まだまだ難しいところがあるのだろう。

 

場所があったら、ネット上でもリアルな場でも、男性が悲しみをぶちまけられると

良いなあとよく思う。きっと、酒場の隅で呑んだくれて、眉間にしわを寄せて

耐えているのとは違う感覚になるように思うのだけれど、押し付けかな。

6/26 歌舞伎役者 市川海老蔵

ここ数日、朝から晩まで彼と奥様の話でテレビ・ネットと持ちきりである。

ブログを拝見すると、悲しみを吐き出していて、すごく逆説的な言い方だけれど、私はその点では安心している。

応援する側は頑張れとつい言ってしまい、苦しい方へ追いこんで行きがちだし、彼に対しては日本全国から

言われてしまう。

心がボロボロで立ち上がれないのに。

彼の素直なところが今は私には安心材料だ。素直に悲しみもある程度表現してる。

今は前を向かなくていい。泣いていていい。

 

でも、とても気になる。この世の中の騒ぎ方と心配の仕方。どこか「世界の中心で愛を叫ぶ」のような映画を見ているように見られていないか。

愛と感動の物語として消費していないか。

それがとても気になる。私の妻は突然亡くなったので、闘病のことについては私は語れないが、彼にとってここからも闇である。そして出口は見えない。

いくら舞台に上がって大活躍しても。心は年単位で闇や苦しみや悲しみが渦巻く。

世間が、気丈に乗り越えて生きるストーリーを世の中が求め始めた時にとても怖い。まだ数日であるが、その萌芽もちらほらある。

一般人がどの時点で飽きるか、そして嘆いてる海老蔵にも飽きるかが怖い。いや、飽きるだけならあまり問題はないけれど。

え、まだ泣いてんの、まだ麻央とか言ってんのとか、そういうことを言い出す人が出てくるのが怖い。

そして、彼が思い出話も何もできなくなり、ましてや辛さを言えないことになるのが、一般人以上に怖い。

海老蔵という立場で見せられないものもたくさんある。成田屋は孤高のポジションであろうし。

でも、本名では気がすむまで泣いて悲しんでいてほしい。

その時間を勝手に世間が決めないでほしいと祈るばかりだ。年単位ということは世間がわかってくれたらなあ。

10年だって珍しくもなんともないということをわかってくれたらなあ。